先日、緊急入院した親父。
集中治療室で手当てをして、なんとか持ちこたえたが、
2週間後に死んだ。
86歳になったばかりだった。
正直、親父は嫌いだった。
俺が丁稚奉公に行ってた会社を退職して直ぐに親父の街工場に入った。
20年前のことだった。
当時の勤め先の工場は高額なマシニングや大型フライスなど、そこそこの設備があり、
そこそこの工具でそこそこ新しい加工方法で物づくりをしてた。
だから、そこそこの精密機械やそこそこの精密測定具、そこそこの冶具を作ってた。
親父の工場は一人社長。要は個人経営で、親父は昔からのやり方で加工をしてた。
そんな古臭い工場だが、なぜか親父は俺を保証人にしてNCフライスを購入。
コンピュータの機械だ。
しかし、使い方が難しい。
たぶん、騙されて買ったのだろう。
そんなNCを汎用機として使うことしか出来なかった。
そんな町工場に俺が入り、NCを親父から奪いとった。
PCを買って、CADでの計算。
NCはプログラムで動かすようにした。
プログラムを作るのに慣れてない俺はメチャクチャ時間を浪費する毎日。
そこそこ新しい機械に昔の工具は勿体無く、そこそこ高額な工具も揃えた。
そんな俺のやり方が気に入らなかったのか、毎日のように喧嘩をしてた。
売り上げは上がるが、工具代、測定具など出費も多かった。
毎日がいがみ合いと喧嘩。
そんなある日、得意先の社長と喧嘩。
嫌々、喧嘩ではない!
自分の想うように出来ない得意先の社長が一方的に切った。
この社長、成り上がりのボンボンで物づくりに関しては素人。
無理難題な納期に出来ないと答えただけなのに・・・。
そんな出来事の後、遭いそうを付かして数人そんな会社を辞めたのは事実。
それからが俺の地獄の生活が始まった。
仕事が無くなりバイトに出た。
そんなある日、近くの家族経営の工場から加工の依頼が来るようになった。
Wワークのはじまり。
新たに取引をするようになった工場の仕事は、とにかく短納!
親父の昔のやり方では間に合わない。
そこでまたまた喧嘩。
いい加減頭にきた俺は親父から仕事を奪い取った。
仕事人間だった親父がボケるまで時間は掛からなかった。
それでも俺は親父が嫌いだった。
寝たきりになり数年。
親父は死んだ。。。
そして俺は親父を殺してしまったことに気が付いた。
餓鬼の頃、大好きな親父だったのに。
俺にとって一生後悔するだろう、人生最大の過ち。
俺は親父になにもしてやれなかった。
しかし親父は俺にすげー物を残した。
小さい小さい町工場!
日本の産業の土台となる町工場!
今日!!
新しく仕事を頂けそうな会社に営業を仕掛ける事ができた!!
掴みは上場!
俺の工場の兆しが見えてきたかも!?
まだわからないけど・・・。
やったぜ!親父!!!!!!!!!!!!!
この工場は何が何でも守ってやるぜ!